「SDガンダム」は日本の同人誌文化の大きな一点なのでは?という考察
「SDガンダム」というコンテンツ、Wikipediaを調べますと1985年6月がスタートらしいのですが、1985年6月というとZガンダムの放送スタート(1985年3月)直後で、割と毒々しい始まり方をした(終わりはさらに鬱々としてますが)Zガンダムの雰囲気を中和するような形でのスタートだったのかと思います。
とは言っても、これは商品として「SDガンダム」が展開されたスタートでして、それ以前にもガンダムのデフォルメに近いことは、たとえば漫画の「プラモ狂四郎」(1982~1986)でもされていましたので、ガンダムブームの盛り上がりのうちの1つで、ガンダムのデフォルメというデザイン自体はスタートしておりました。
ただ、その後のSDガンダムはなにをし出したかというと、本編のキャラクターを次々にデフォルメ化し、そのキャラクターで遊び始めたのです。これをカリカチュアというのか、パロディというのか、厳密な判断はわからないですが、今の人たちにわかりやすく説明すると、「ガンダムさん」のようなことをSDガンダムでやり始めたのです。これに類似した作品は、今の若い人たちにはすでに当たり前にあるようなものでしょうから珍しくもなんともないでしょうけど、これ、当時としてはかなり画期的だったんです。
といいますのも、そもそもSDガンダムが本格的に展開され始めたのはおそらく、もうすでに廃刊となってしまった「コミックボンボン」という漫画雑誌だと記憶しているのですが、ここで漫画を通してSDガンダムがやっていたことは、本家サンライズ公認のもと、さまざまな(MSも含む)ガンダムキャラクターをデフォルメ化し、さらに本編とは異なるまったく別の(平和な)世界に放り込んだうえで、劇中の関係性を組み合わせてギャグをやる、ということでした。
この、デフォルメ化したキャラを別世界に配置して行うギャグ、というもののうち、私がとても印象的に記憶しているのは、本編に登場する悲惨な運命にあう人たちをデフォルメ化して、あえて笑いにして救ってしまう、ということをやっていたことです。例えばZガンダムのカミーユを、現在では許されないであろう、「ぷっ〇んカミーユ」というキャラにして笑って救っていました。
このSDガンダムで展開された「本編では悲惨な目にあうキャラクターたちをデフォルメ化して、まったく別の世界に放り込んで遊んで(救って)しまう」という文化は、もしかしたら今の同人誌文化にある程度影響を与えているのではないかなあ、と思います。
またこの場合、本編が悲惨であればあるほどデフォルメ化したときの落差が大きく、印象に残りやすいですから、できるだけ悲惨な物語であり、かつキャラクターの関係性が豊富に描かれている作品はこのような展開が起こりやすいのではないかと思います。(例えば、Fateとかのあのシリーズはまさにこの展開にうってつけです。)
なので「悲惨な物語をベースに遊んでしまう」という日本の同人誌文化(パロディ文化?)の一部の走りを、SDガンダムはやっていたのではないだろうか、という考察をしてみました。
|・ω・`) 漫画、調べたら「爆笑戦士!SDガンダム」(1987-1992)だった。もう30年以上前か…
|・ω・`) ついに今年も7月に入ってしまった…とりあえず新アニメ見ようかな…
でも「異世界スーサイド・スクワッド」ぐらいしか見たいものがないなぁ…
「グレンダイザーU」は惰性で見そうだな…
今私の中でもっとも熱いYoutube動画チャンネルは「セリフと演出から読み解く機動戦士ガンダム解説」なんですが、ついにこの方、Zガンダムの解説を開始されました。しかもカミーユやカツなど個々のキャラクターについて深堀されてるから毎回すごい楽しみ。
ただ、カミーユを語る上では、確かにアムロとの対比もあるのだが、ダンバインのショウの存在は欠かせないと思うんだけど、どうだろうか (さらに強いて挙げると、エルガイムのダバの存在も入れてもいいかも)。でも、それをやるとガンダムから逸脱してしまうからあえてやらないつもりなのかな?
|・ω・`) 個人的にカミーユは「環境と運と仲間が悪かったショウ」だと思うのだ
そして、ひねくれてないシャアがいい方向に導いたカミーユはゲイナーだと思うのだ
|・ω・`) さらに言うと、Zガンダムのストーリーは悪い方向に進んだダンバインと言ってもいいと思う