物語の表層構造と内部構造について考える (2021年7月)

 最近、物語の表層構造と内部構造について考えることが多くなりました。物語の表面構造と内部構造というのは、うまく説明できているかわかりませんが、映画やアニメを見て、セリフや映像表現などをそのまま見ることだけでわかる製作者の(上っ面の)意図が表層構造で、その表層構造の裏に見え隠れする作者の「言いたくても言えないこと」、もしくは「説明してないけど無意識に入れてしまっているもの」が内部構造だと、私は解釈しています。

 

 大抵の世の中の人は表層構造しか見ませんので、わかりやすい物語で、映像がきれいなものが好まれます。ところがよく評論家が絶賛しているけど一般人は全く見ない、という映画がありますが、それは表層構造がそれほどでもないけど、内部構造がとんでもないものだったりすることがあるわけです。この内部構造はある程度知識がないとわからなかったり、膨大な過去の作品を知っていたりしないとわからないので、普通の人には感知すること、もしくは感知しても理解することが難しんですよね。その点をジブリなどはよくわかっていて、普通の人には素晴らしい映像と爽快な物語(表層構造)を楽しんでもらって、その裏、実は内部構造はとんでもないものになっている、という作品が(もののけ姫以前は)ほとんどですので、一般の方から専門家までが喜んで見てもらうことのできる作品になっているわけです。

 

 この表層構造と内部構造のバランス、というのは結構重要で、表層構造がしっかりしていないと内部構造だけが露になってしまうことが多いのです。例えば先ほどのジブリの例で言いますと、ナウシカやラピュタは表層構造と内部構造のバランスが、表層構造がしっかりしているうえにぶ厚い仕組みになってますので、そう簡単にはとんでもない構造の内部は見えません(時々チラチラ見え隠れするが、そう簡単には感知できない)。なので、内部を見ることのできない一般の人は十分に素晴らしい表層を楽しみ、内部を感知し、理解することのできる専門家はその内部構造まで楽しむ、ということができる素晴らしい構造となっています。ところがもののけ姫以降、特に「風立ちぬ」は、表層構造もすごいのですが、内部構造のほうが勝ちすぎていて、内部構造の一部がはみ出て見えている状態になってしまっていると思います。なので、いままで見えなかった内部構造が普通の人にも感知できる(感知できるだけで理解できない)状態になってしまったため、いままでジブリを見てきた人たちの一部が混乱するような作品になってしまっているわけです。

 

 で、この表層構造と内部構造のバランスですが、例えば最近ではシン・エヴァンゲリオンは見たこともないような素晴らしい映像で過去作品のオマージュとメタ構造を見せまくるというとてつもない表層構造で、複雑な本当の内部構造を隠しているのですが、時折パンチラをするという、とても面白い構造の作品となっています。一方、私の好きな富野監督の作品はどうかと言うと、正直、胸を張って「バランスの取れた作品である」と言える作品って、初代ガンダム以外無いのではないかと思うのです (∀ガンダムとキングゲイナーは、ある程度バランスが取れていると思いますが)。というか、もともと富野監督はデビュー作から全裸で踊っているのが透けて見える作品ですので、初代ガンダムが奇跡のバランスなのかも知れません。以降、イデオン、ザブングル、ダンバイン、エルガイムと、なんとかギリギリ許容できるかな?というバランスの作品を作りますが、Zガンダムでバランスが完全に崩れ、内部構造が露になった作品がその後Vガンダムまで続いているような気がします。「内部構造が露になった物語こそが富野の醍醐味」という評価もあるでしょうが、それは(私を含めた)信者の方にしか通用しないことだと思います。