「ぼっち・ざ・ろっく!」から「SSSS.GRIDMAN」を思い出す (2023年3月)

 |・ω・`)  …忙し過ぎた3月がもうすぐ終わる…

 

 さて、ちまたで人気の「ぼっち・ざ・ろっく!」をようやく見まして、その感想ですが、奇しくももうすぐ劇場版公開の「SSSS.GRIDMAN」を思い出しました。この「SSSS.GRIDMAN」というお話、すごく簡単に説明すると、自分が好きなもの(怪獣)のことでクラスから孤立し苦しんでいる新条アカネという女の子が内面世界に取り込まれてしまい(もっと簡単に状況を説明すると、引きこもり状態、と言っていいのか?)、主人公(GRIDMAN)や友達たちがその内面世界から助けてくれる、というお話でして、まさにぼっち・ざ・ろっく!の後藤ひとりが(やや強引な)友達たちに振り回されながら、いわゆる他力(人任せという意味でなく、仏教用語の本当の意味の「他力」ですよ)により救われていくのと、本質的には同じような物語が展開していきます。なので、この「ぼっち・ざ・ろっく!」は、巷では「けいおん」との関連性ばかりが語られていますが、どちらかというと、アニメ版に関してはSSSS.GRIDMANの系譜なのではないかなぁ、と思いました(漫画版は読んでないので)。

 

 で、逆に「SSSS.GRIDMAN」を見たとき、私がなにを思ったかといいますと、2つありまして、1つは物語が1999年に放送した「THE ビッグオー」みたいだなぁ、と思ったことと、もう一つは、いい時代になったなぁ、と思ったことです。

 

 まず「THE ビッグオー」についてですが、このお話、古臭いロボットアニメに見せかけているのですが、実は結構設定が深くて、主人公たちが暮らしている世界は、ある女性が考えた本の中の世界(つまり女性の頭の中にある世界)で、主人公たちが住んでいる都市以上の広がりがなく(劇場版 「魔法少女まどか マギカ 叛逆の物語」の見滝原市の設定と同じ、と言えばわかりやすいかな)、物語の最後は、その作者の女性がこの世界を消してしまおうとするのに対し、その世界の住人である主人公が消さないよう作者にネゴシエイション(物理含む)し、最後はその世界が修復される、というお話で(まさに最後はフィクサービームのようにその世界が元に戻ります)、初めて見たときに「おおっ、面白い設定」と思った記憶があります。

 

|・ω・`)  ツイキ…

 

|・ω・`)  GRIDMANの脚本の長谷川圭一さん、ビッグオーにも参加してたんだ。どうりで似てると思った。

 

 

 そしてもう一つの感想の「いい時代になった」という感想ですが、これは、このSSSS.GRIDMANの原作である特撮番組「電光超人グリッドマン」(1993年作品)を思い出し、思ったことです。この電光超人グリッドマンには、SSSS.GRIDMANのアカネのポジションにあたる、怪獣を生み出す側の少年である武史という登場人物がいるのですが、この武史、完全に当時の「差別されたオタク」のステレオタイプそのままのキャラクターとして描かれていまして、この武史を見ると当時の自分を見ている感じがしまして、私は当時からこの番組を正面から見れませんでした。

 

 といいますのも、今では考えられないかも知れませんが、エヴァンゲリオンの放送以前の、1990年代後半以前では、日本ではオタクは完全に差別の対象でした。有名な例として、コミケに集まってきたオタクの皆さんのことを、あるテレビ局のレポーターが「犯罪者予備軍」と紹介したことがある、という都市伝説があるほどです。またこれは私の体験した実話ですが、ある犯罪を犯した少年の家に(最近またアニメ化しましたが)「トライガン」の漫画版が置いてあった、ということでトライガンが一時叩かれたことがありました。私、当時トライガンを読んでいまして、この漫画、読んでもらえばわかるのですが、主人公は凄腕ガンマンなのに人を殺さないで事件を解決する、という物語で、これを読んで事件を起こすのであればシティーハンターはどうなんだと憤った記憶があります。

 

 私はそんな時代を小学生~高校生の間、生きてきましたから、武史のような差別するべきキャラクターとして私は見られていたんだよなぁ、と思い出し、暗い気持ちになります。ところが、今はどうでしょうか、SSSS.GRIDMANの世界では、オタクとしてかわいい少女が出てくるような時代となっています(まあアカネはおそらく雨宮監督自身の投影に近いキャラだと思いますので、実際の中身はオッサンなのかも知れませんが…)。テレビでは芸能人が自分はアニメオタクである、などと普通に言うようになりました。

 

 いい時代になったな、と思いました。