「Fallout」にアメリカの本気を見たが、「CITY HUNTER」は日本の本気を見せられるか?
|;ω;`) やっといろいろ終わったと思ったら仕事が倍プッシュされてるの…
さて、4/11に「Fallout」がアマプラ公開されまして、早速見てしまったところ止まらなくて…
週末に全部見てしまいました…終末モノだけに。 おや誰か来た(ry
そもそも「Fallout」は、ゲームの世界観がすごく良くて、これを映像化するのは大変だろーなーと思ってたのですが、ここまで上手くまとめてくるとは。しかもシーズン2作る気満々というか、作らざるを得ない出来。セットの出来とかもいいのはネットでさんざん言われてるからいいとして、最高なのは演者さんがよい。とにかく余計な事をあんまり話さない。かといって説明不足にならないこの絶妙な塩梅がいい感じです。
一応3人主人公という形のドラマだけど、実質主人公はクーパーで、一見トリックスターかと思いきや、彼の過去が少しずつ回想されていく様を主軸に物語を展開していくという手法を使ってて、すごく面白く見ることができました。
|・ω・`) ただ、この話の主たるテーマはゲームで嫌というほど見せ付けられる
「善意と善意のぶつかりあい」のはずなのだが、そこが少しぼやけてる気がするなぁ…
牧歌的な歌の裏で繰り広げられる戦闘シーンとかで強調されてはいるんだけど。
|・ω・`) どっちかって言うともう一つの主テーマである
「資本主義・競争主義の行きつく果て」だけが強調されてしまった気が
とにかくはこの「Fallout」で、日本のアニメ・ゲームカルチャーに対するアメリカの本気を見せられた気がします。で、日本ではネトフリ版「CITY HUNTER」のトレーラーが出まして、こちらもものすごく期待しているのですが、果たして「CITY HUNTER」はこのアメリカからの猛攻に耐えうる防波堤になってくれるのでしょうか…
BS11でガンダムZZのセレクションが放送され始めました。
ガンダムZZ、はっきり言って前半はかなり見るに堪えないところが多い(特にOPが最悪…)のですが、前半迷走して後半に本気出す、というお決まりのガンダムストーリーなので、我慢して見るか…
|・ω・`) ただ、後半EDの「一千万年銀河」を聞くと、
なにを富野監督がこの物語でやりたかったかがわかるのだ
Zではニュータイプに次ぐ新しい概念を出そう、と思ったが、「これって結局ヤマト(さらに言えばイデオン)と同じじゃね?」という結論に行きつきそうになった結果、それではイカンということでZは一旦終わらせて、その先の結論をZZで出そうとしてやっぱり出せなかった苦悩がこの曲を聴くとわかります。
(ちなみにこの苦悩はVガンダムまで続く)
|・ω・`) さらにちなみに、その出せなかった(出したくなかった)結論を庵野監督が解釈して
映像化したのが旧劇場版のエヴァンゲリオンだと思う
そしてGガンダム、クロスボーンガンダム、ガンダムXという、富野監督の意思を継いだ新世代が出した答えに対し、アンサーとして出したのが∀ガンダムで、ここで「ニュータイプという概念に対する」ガンダム物語は終わったわけです。
|;ω;`) そして全く新しい視点の傑作「キングゲイナー」を出したのに全く認知されず…
|・ω・`) でも大丈夫。ちゃんと本物のクリエイターにはその意思が届いてるから…
|・ω・`) このチャンネル、すごく面白くて興味深い。富野監督個人の考察としては、岡田斗司夫さんのガンダム解説を超えてると思う(まあ、あちらはアニメ資料とSFとしての考察がメインなので)。
んで、このチャンネルがまだ話してない、復活後の富野監督の作品の意味についての、自分なりの解釈の忘備録
ブレンパワード → 今まで自分がさんざんやってきた「家族論」にケリをつける
∀ガンダム → これまでのガンダム(他監督作品含む)の物語にケリをつける
キングゲイナー → Zガンダムにケリをつける (このおかげでZ劇場版が意味が分からないことに…)
リーンの翼 → 監督の中の戦後(もちろん太平洋戦争後のこと)にケリをつける
Gのレコンギスタ → F91でやりかけたとことの後始末と、これからを生きる若者への説教?
|・ω・`) なんかこう整理すると終活してるみたいで嫌だなあ…