「シン・ウルトラマン」から「その世代の共通認識」を考える (2022年6月)

 「シン・ウルトラマン」が公開されまして、私より一回り、もしくは2周りほど年上の世代が感涙にむせぶネット記事が巷に溢れていますが、どうもいろいろ様子を見ると、どうやらこの「シン・ウルトラマン」は「ウルトラマン」に熱中していた、現在およそ50~60歳くらいの方々の共通認識の琴線に触れたというか、「あのとき生放送していたウルトラマンに熱中していた少年たち」が同窓会で「そうそう! あれあれ!」と言いあっているような内容になっている模様です。

 

 で、私はその世代からははずれていますので、あんまり心の琴線にはひっかからないのですが、似たような心情になった経験はありますので、その感涙にむせぶ心情はよくわかります。その経験というのが2006年に放送された「ウルトラマンメビウス」の第41話「思い出の先生」を視聴した時です。この話を見たとき(放送当時は忙しく、視聴していなかったので、数年後にCSの再放送で見たのですが)、私は本気で泣いてしまいました。

 

 ウルトラマンメビウスには、旧作ウルトラマンたちが多数ゲスト出演するのですが、この41話に出てくる旧作ウルトラマンが、1980年に放送していた「ウルトラマン80」でした。このウルトラマン80、私が生放送で見た記憶のある最初のウルトラマンでして、情報が載っている子供雑誌を買ってもらったり、主題歌の入ったカセットテープを買ってもらったりしていました。ただこのウルトラマン80、それ以前のウルトラマンファンからは酷評されていました。まあ最大の原因は、主人公が学校の先生である、という設定が途中でうやむやになり、なぜか学校生活のシーンが無くなってしまったことが原因だと思います(なぜそうなったかなどの原因についてはいろいろありますのでWikipediaを見てもらえればと思いますが…)。そのため我々世代は、それより上の世代の人たちが自慢げに語る「自分たちのウルトラマン」の話に入れないというか、その話についてはあんまり自信が持てない状態であったのです(もう1つ、このウルトラマン80はTV放送されたウルトラマンとしては、1974年のウルトラマンレオ、1996年のウルトラマンティガという、前後に長いブランク期間のある「隔絶された世代」のウルトラマンである、という原因もあるのですが)。

 

 ところが、です。このウルトラマンメビウスで、突然80が登場しただけでも驚いたのですが、放送当時に80の教え子だった人たちが中学校で同窓会をしている中に80がやってくる、というシーンがあり、もうそれだけもでかなりこみ上げてくるものがあったのですが、その同窓会をしていた、もういいおじさんおばさん連中が80を見て「あれは、ウルトラマン80!!」「俺たちのウルトラマンだ!!」(←わざわざ『俺たちの』と言わせるところが解ってますなあ…)と次々に声を上げるシーンで「俺もだよ!!」と声を上げて泣いてしまっている自分がいたことを覚えています。この物語、最後は80役であった長谷川初範さんがその同窓会に合流して終わる、という感動的なシーンで終わりまして、ファンの中では「80の真の最終回はメビウスの41話」と言われているくらいです(テレビ本放送の80の最終回が酷すぎる、という原因もあるのですが…)。また、このメビウスの放送の後、80の扱いが円谷プロ本家でもかなり変わったような印象があります。

 

 ですので、今回、シン・ウルトラマンで製作陣がやったことは、このウルトラマンメビウス41話をもっと大々的というか、もっと徹底的に、もっとオタク的にやったんだろうなあ、と思います。また、この状況を見て、その世代の共通言語というか、共通認識というやつは、非常に強いものなんだろうなぁ、と認識させられました。そしてそれは、違う世代にはなかなか理解されないのだろうな、とも思いました。

 

 

 以下に少しネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

 シン・ウルトラマンのラスト近く、ウルトラマンがゲート(ブラックホールでいいのか?)から逃れようとするシーンで、ブラックホールがモノクロで描写されますが、あれ、SF的におかしいですよね(ほんとは光のドップラー効果でブラックホール周辺が赤く見えるはず、 いや、逆で青なのか? どこから観測してるかによるから難しいな…ブラックホールの光は観測できないから真っ黒なはず、って言われたらそれでおしまいかも知れないけど)。あれは多分、庵野監督自身のデビュー作である「トップをねらえ!」の最終話のラスト近くで、ガンバスターが自ら起動したブラックホール爆弾から逃れるシーンのオマージュなんでしょうね。

 

 「トップをねらえ!」の最終話は、話に緊張感を持たせるためにモノクロで見せるという手法をとっていたため、すべてのシーンがモノクロで作られていますから、誰も色なんて気にしていなかったんですけど、最終話以外のシーンでは色もきちんとSF考証がされていましたから、もし「トップをねらえ!」の最終話がモノクロでない手法で作られていたら、シン・ウルトラマンのブラックホールもモノクロじゃなかったでしょうね。

 

 オカエリナサト (←シン・ウルトラマンのラストもこれでしたな)