「ガンダム」はSFではなく大河ドラマなのではと考える (2021年11月)

 Amazonプライムで「閃光のハサウェイ」がサブスクリプションされましたので、早速視聴しました(ちょっといろいろあって映画館に行けなかったもので…)。で、正直な感想ですが、私はシン・エヴァンゲリオンより面白かったです。

 

 といいますのも、まず前提として、私は小学生の頃にZガンダムで富野由悠季塾に入ってしまい、大学生の時の∀ガンダムでようやく富野塾から卒業したような人間です (誤解が無いように補足しますが、∀ガンダムがつまらなかったから卒業した、とかいう意味ではないですよ。∀ガンダムはそれまでのガンダムファンに対し、富野監督が優しく卒業証書を渡してくれた作品なんです)。

 

 そんな人間に対し、エヴァ学校に入学したままの人たちに対して庵野監督が「強制卒業式」を決行したような作品であるシン・エヴァンゲリオンを見せたところで、特に心に響かないのは、これはもうしょうがないと思います。

 

 で、富野塾OBとしては、小~中学生時代に小説版を読んだ「閃光のハサウェイ」を、当時は予想もしなかった、まるでこの令和の時代を予言していたかのようなあの鬱々とした世界の物語を、富野監督の弟子筋の方々がどのように描くのか? いくつも思い浮かぶ富野節全開の場面をどう描くつもりか? というのがとても気になり、最後まで一気に見てしまいました。見た後の率直な感想としましては、「大河ドラマの1ページを、きちんと大河ドラマの1ページとして作ってくれてありがとうございます」というものでした。

 

 ガンダム(特に宇宙世紀ガンダム)はよく「SFか否か」と議論される作品ですが、私の意見としては「SFではない」に一票を入れたいと思っています。といいますのは、正直胸を張って「SFである」ということを言えるのは初代ガンダムのみで、それ以外の作品は(∀ガンダムを除いて)胸を張って「SFである」とは言えない作品だと思うからです。だからこそSFオタクである岡田斗司夫氏のような人は「ガンダムは初代のみ」と言ってしまうわけですが、それはそれとして、ではガンダムとはなんなのか、と言いますと、私は「大河ドラマ」であると思うのです。

 

 私は、ガンダムのメインテーマは「何かに立ち向かい苦しむ群像の物語」であり、立ち向かい、苦しみ、のたうち回る人間たちが織り成すドラマこそが実はメインだと思うのです (もちろんその立ち向かう対象のメタファーとしては、富野監督本人の当時の苦悩などが入り込んでいるのですが)。そしてガンダムという作品は、幸か不幸か、富野監督の意志に関わらず続編を作り続けさせられる運命となってしまいました。その結果、「のたうち回る」人々の歴史を紡いでしまう結果になってしまい、まるで歴史小説や大河ドラマのような体をなしてしまっているように、私には思えるのです。

 

 つまるところ、(特に富野監督作品の)宇宙世紀ガンダムは、歴史を伴った大河ドラマであり民話であり、SF作品ではないと思うのです(私はSF要素はおまけ程度だと思っています)。なので、あえてSF表現を抑えて、大河ドラマの1ページとして構成し、さらにその1ページでも十分現代に通用するアニメ映画として「閃光のハサウェイ」をチューンしたスタッフの方々には、正直、本心からの「ありがとうございます」という畏敬の念を禁じえません。また、小説の難しいセリフを下手に変えず、難しいセリフは難しいままで、演技や映像である程度理解させるようにした演出は大成功だと思います。

 

 もう一つ感想を追加しますと、いわゆる富野ガンダム世界でしか通用しない「ガンダム物理学」を理解している人には、たったの数分しかありませんが、Ξガンダムvsペーネロペーの戦闘シーンは鳥肌ものだと思います。(ガンダム物理学を理解していなくても、すごくカッコいい場面ではありますが。)

 

 願わくば、この後の第二部「サン オブ ブライト」そして第三部(おそらく副題は「マランビジー」)も、下手な改変や下手な演出はせず、このままの形で作られますように、と思います。

 

 ただ、もしラストの展開が原作のままであったとして、今の若者がこの作品をラストまで見て、一体どのような感想を得るのか、そこだけが気がかりです。(あ、でも、おっさんしか見ないかこの映画。杞憂ですかね。)