最近のアニメ・漫画のトラウマ自白ショーについて考える (2021年9月)

SF警察、という言葉をご存じでしょうか。まあ最近は「なんとか警察」というと、その手の厄介な方々、というイメージだと思いますが、まあSFに対して並々ならぬ思い入れがある方々で、いろんなSFに対しモノ申してる方々と言えばわかりやすいと思います。私はSF(と言われているもの)は好きです。スタートレックは普通に好きですし、2001年宇宙の旅も面白いと思います、が、ガンダムがSFであろうがなかろうがどうでもいいと思っている、SF警察とは程遠い人間です。

 

こんな自分ですが、2021/7/11の岡田斗司夫ゼミを見ていたところ、SF警察、というか人間の難しさにとても考えさせられました。この回の岡田斗司夫ゼミは視聴者からの相談に答える回だったのですが、その間の雑談に「閃光のハサウェイ」の話が出てきました。岡田斗司夫氏のこの映画の評価を非常に簡単に要約しますと、「初代ガンダムは安彦さんの漫画っぽい絵とSF表現の匙加減のバランスが取れていたので面白い。閃光のハサウェイは絵がリアルに寄りすぎてSF表現のバランスが悪かったのでもう見ない」とのことでした。これを聞いた時、ハサウェイの評価などとは全く違う次元で、うーむと考えさせられてしまいました。

 

私は岡田氏が閃光のハサウェイで嫌悪感を指摘するシーンを見ても、岡田氏ほど嫌悪感を抱かなかったのです。ですが以前の岡田氏のゼミにて、岡田氏が同様にSF表現が悪いと指摘していたガンダム・オリジンの不快なポイントは逆にとても理解できたのです。ということはです、この「許容できる」バランスと範囲が岡田氏と私は違うのです。これはとても当たり前なことで、それはそれで全く問題がないのですが、これをこじらせて外に放出し始めることが、いわゆる「なんとか警察」の行為なのではないか、と思うのです。

 

もう少し噛み砕いて言うと、岡田氏はSF警察ではありません。岡田氏がもし「閃光のハサウェイはクソ映画だ、なぜならSF描写のバランスが悪いから」とか言い出してどこかの掲示板で暴れだしたら間違いなくSF警察なのですが、氏はそんなバカな行為や発言はしておらず、ただ単に「俺は気に食わない」と言っているだけなのですから。つまるところ、この許容できるバランスと範囲によって個々で評価が変わるような事象において、自分のバランスと許容範囲を押し付ける人が「なんとか警察」であるように思います。

 

この押し付ける内容が「SFであるかないか」というような、一般人にとってはどうでもいいレベルの話であればただの笑い話ですが、何かしら生活に関係のある分野でこれが起こると、凄まじい軋轢になって、いろいろ社会的に問題が生じるわけです。マスク警察VSマスクしない警察の争いはまさにそれでしょう。

 

さて、私にもいくつか「なんとか警察」になってしまった身に覚えがあります。これから少し気を付けよう、と思う今日このごろでした。