「ウマ娘」の構造から「普遍性」を考える (2022年4月)

 巷で大人気(でも少し、人気に陰りが出て来たかなぁ…)の「ウマ娘」ですが、私、ゲームはしていないのですが、登場する馬の名前が懐かしすぎてアニメは見てしまいました。

 

 私、新潟出身なのですが、ご存じの通り新潟県にはJRA管轄の「新潟競馬場」がありまして、普通に土日に競馬中継がテレビでやっておりました。で、小学生の時に「オグリキャップブーム」を見て、よしだみほさんの「馬なり1ハロン劇場」にハマり、競馬って面白い、と感じまして、また折しも「ダービースタリオン」というゲームが中学・高校の時代に出まして、高校では学校非公認の「競馬同好会」にも参加し、同好会の連中とゲームで遊んでおりました。で、現在「ウマ娘」に登場する馬の多くが、私が競馬に夢中になっていた頃に活躍していた馬の名前でして(ミホノブルボン、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン、フジキセキの世代あたりが私は最も競馬に興味を持っていた時期で、ライスシャワーとサイレンススズカの最後のレースをリアルタイムで見ていました。が、逆にディープインパクトのあたりでは完全に興味を失っており、ディープインパクトの三冠はニュースで知ったぐらいです)、知っている名前の馬が大活躍するウマ娘のアニメ2期は、ナツカシベリー状態であることは重々承知の上で楽しんでしまいました。

 

 で、ウマ娘のアニメの構造を考えてみると、結構面白いなと思ってしまいました。まず、ウマ娘のアニメの根本的な骨格は、挫折やケガをした主人公がいろいろな仲間に助けられながら成長して、なにかしらの勝利をつかむ、という「スポ根」ものの骨格を有しています。しかも、よく見ているとわかるのですが、この「ウマ娘」に登場してくる馬の大半が、外見は女性ではありますが、明らかな男性論理で動いています。つまり、かなり昔にあった女性が主人公のスポ根もの、例えば「アタックNo.1」ですとか、「エースをねらえ!」(←母親が全巻持ってたので読みました)とかの主人公たちの行動原理とは全く異なる行動原理で動いているのです。もっと簡単に言うと、このアニメに出てくる「ウマ娘」たちは基本、かわいい女の子の姿をしていますが、中身は高校球児なわけです。(これだけでなく、ウマ娘はAKBなどがウケた構造も取り入れているのですが、これを言うと怒られそうなのでやめときます)

 

 で、この構造はどこかで見たなあ、思ったのですが、まず真っ先に浮かんだのは「ガールズ&パンツァー」です。このアニメも、主人公たちは全員女の子なのですが、まず行動原理が完全に男性でして(漫画版はお母さんたちですら男性の行動原理で動いてます)、さらに、過去に傷ついていたり、脛に傷をもつちょっと変わった連中が寄り集まって大会に出るという、完全に「ドカベン」のメソッドで物語を作っているところからも、「主人公たちは中身は男」というのが透けて見えます。(さらに、もう少し時代をさかのぼると、スポ根ものではないですが、中身は男の女の子たちが織り成す物語として「魔法少女まどかマギカ」があったと思います。)

 

 これを分析すると、ガールズ&パンツーやウマ娘は、まったく新しいなにか、というわけではなく、根本の構造はいわゆる「普遍的」な構造であることがわかります。普遍的な構造を持った上でどんな肉付けをしていくか、ということが物語を作る根幹技術であって、よい物語を作るには「全く新しい構造を提案する」のでなく、普遍的なものをベースとするのが最も良い方法であるということの証左ではないかと思います。これは、日本のアニメ黄金期を支えた脚本家である星山博之氏も「アニメに求められているのは、案外『普遍性』なのだ」と言っていることからもよくわかると思います。

 

 ここで考えるのは、我々技術者・研究者も同じで、全く新しいなにかを提案するのではなく、普遍性を追求することが実は社会で一番役に立つことなのではないかなぁ、と思いました。