「進撃の巨人」最終回に思うことなど (他雑談)

 |;ω;`)  例によって毎週土曜日休日出勤な11月で死ぬほど忙しいので、雑談ぶつ切りで

 

 |;ω;`)  今年はホントに忙しくて、頭おかしくなりそう…

 

 山田玲司のヤングサンデーのVガンダム回で、Vガンダムの主人公ウッソとZガンダムの主人公カミーユが比較されてて、ウッソは真面目で社会派な主人公だが、カミーユはメンヘラ自己中主人公と言われていた。でも、これは誤解だと思う。

 

 違うのだ。カミーユは人一倍優しくて人一倍賢くて人一倍社会を考えているからこそ「なんでもっとうまくやらないんだ」と怒ってイライラしているのだ。だから最終回でシロッコに「賢(さか)しいだけの子供」なんて言われてしまうわけだが。

 

 特に何に怒ってイライラしているかというと、ダメになっていく社会に対し、偉そうにいろいろ御託を並べているくせに、結局なにも社会を変えられていない、変えようとしない人間たちに対して怒ってイライラしているのだ(その怒りとイライラの矛先としての代表がクワトロ=シャアなのだ)。

 

 そのイライラの原因をわかっていないのか、それとも自分がそのイライラの対象の一人だということを自覚しているから、山田玲司先生はカミーユを茶化すのか、どうなんだろうか。

 

  |・ω・`)  もしかしたら玲司先生、カミーユに自分と同じものを見てる? だから茶化す?

 

 

 

 「進撃の巨人」のアニメ最終回が11/4に放送されましたが、進撃の巨人は、山田玲司先生も言及していましたが、ガンダム(特にZ、Vガンダム)の正当な後継者だと思う(エヴァンゲリオンは後継っぽく見えるけど違う方向に行ってしまった気がする)。

 Z・Vガンダムを換骨奪胎して今風にするとこうなるんだろうな、と思う。

 

 ただ、この手の物語が行きつく結論が結局初期仏教になってしまうのは日本人のサガなんでしょうかね…Vガンダムの最終回も完全に諸行無常でしたし。

 

 

 …余談ですが、「進撃の巨人」の最後の最後の戦闘シーンでライナーが叫ぶ「俺たちはどうすれば報われるんだ?」は、氷河期世代の叫びなんじゃないかなと思う今日このごろ。

 

 |;ω;`)  だってさ、自分の親、面倒見てた子供、さっきまで一緒に戦ってた仲間に襲われるんだぜ…

 

 

 

 あんまり言及されてませんけど、「進撃の巨人」のラスト手前、死んでしまった人達が力を貸してくれるシーン、あれ完全にZガンダム・Vガンダムのマナーですよね。

 

 それを証明する一端だと思うのが、以前岡田斗司夫氏は「進撃の巨人面白いよ!!」と鼻息荒く解説してたのに、漫画の最終回もアニメの最終回もまっくた言及しないのは、Z・Vのマナーだったのがお気に召さなかったのではないかな?

 

 |;ω;`)  あの人、ガンダムはファースト以外はSFじゃないから基本認めてないのよね…

 

 |・ω・`)  あと、天と地の戦いの最中のヒストリアの出産シーンは

      逆襲のシャアのラストシーンを思い起こさせるなぁ…

   「それでも命は生まれてくる」→「それでも人生は続く、いつか終わりが来るまで」

 

 

 

 最近Youtubeでとても面白いチャンネルを見つけました。この人、人類の性質(本能)と社会システムとの対立をきちんと説明していてとても面白いです。そして「ではどうすればいいのか」ということを皆で考えよう、という動画の作りがとてもいいです。

 

 ただ、この人の言う「競争をやめろ」というのは、本能で否定されることと同時に、完全にやめてしまうことは(能力のある人を選抜する必要がある)社会システムの強靭化において問題があるので、完全にそれをやめるのは難しいと思います。(この方も完全にやめろとは言ってないですが)

 

 この問題に真向から立ち向かったSFの1つに「新スタートレック(通称TNG)」があります。このTNGでは、人類はエネルギー問題と食糧問題を完全に解決しており、人類同士の戦争および貨幣経済が消滅した世界を描いています。そのため、個人の能力に応じてできる職業は制限されますが(能力検査のようなものはあるので、それで判定される)、別に能力を必要とする高い職に就こうが就くまいが給料が変わるわけではない(というか、そもそも貨幣経済がもうないので給料の高い安いもない)ので、人々は、いわゆる現状のような「競争」はせずに、高い社会システムを維持したまま平和に生活している(高い能力を有した人が上に立つが、別に物質的に贅沢な暮らしができるわけじゃない、というか物質的な贅沢ってなに?という世界に暮らしている)、という状態で始まるお話です。

 

 |・ω・`)  つまるところ、エネルギー問題と食糧問題を解決しない限りダメなのじゃ

      だからやっぱり、科学技術の発展は必要なんですよ。その日が来るまで。

 

 |・ω・`)  まあTNGも「それでも不幸はあるよね」というお話なんだけどね。深いから見てよ。

 

 

 

 12/2の「山田玲司のヤングサンデー」で「タイタンの妖女」の特集をやってました。私、この本は読んだことがなかったのですが、解説を聞いて、この本が「進撃の巨人」の元ネタと言われることがなんとなくわかりました。ただ、一通り解説を聞いた後、手持ちの「星を継ぐもの」をちょっと再読して思いついたことがあるのですが、もしかして西洋の古典SFって、キリスト教批判のツールとして使われてるのでは?と思いました。

 

 というのは、この両書ともに本質的になにを言いたいかというとキリスト教批判で(タイタンの妖女は最終的に初期仏教の境地に近いことを言っている)、おそらくキリスト教文化圏ではキリスト教批判を真っ向からはできないので、SFというミルフィーユのように科学的考証を行う物語を重ねる構造で本質を隠してるような気がしました。

 

 |・ω・`)  なので、我々日本人から見ると「なんでこの結論に至るためにここまで重厚かつ多層な

    科学的考証の物語を必要とするのか?」という疑問が生まれやすいのではないかな、と。

    藤子・F・不二雄先生のSFぐらいの温度が日本人には読みやすいんだな、と思いました。

 

 

 

 12/17にBS12で「逆襲のシャア」が放送されてたので、ちょこちょこと見てたのですが、終盤の例の "アクシズ爆破→後部のアクシズ落下" のシーンで、直前にちゃんと「減速した後部が地球に落ちる」と説明しているのに、アムロはアクシズの後部を減速する方向に押します。ここがよく「押す方向が逆だろ」とツッコまれるシーンです。

 

 |・ω・`)  では逆に、物理学的に正しい、加速する方向に押してたら、と考えてみるとね、

    最後のあの敵も味方もなくアクシズを押すシーンがスペクタクルな絵、

    というか心に訴える絵になったか、と問われるとかなり疑問符が付くと思うのです

 

つまり直前の「減速した後部が落ちる」という説明シーンは、富野監督の「物理法則はわかってるよ」というメッセージであり、逆の方向に押すのは「物理法則とかそういうのよりも、心に訴えることを優先するよ」という意味なんだろうなあ、と思いました。

 

 

 

 暮れも押し迫った12月23日ですが、国連で人間が関与せずにAIが標的を選択して殺害する「自律型致死兵器システム(LAWS)」に関し、国際的なルール作りを進める決議案が採択されたらしいです。

 

 |・ω・`)  そういや明日、BS12で「ガンダムF91」やるんだよなぁ

     人間が関与せずに人だけを殺すAI兵器…うっ、頭が…

 

 |`∀´)  フハハハハ、怖かろう

 

 そういやバグのことを「殺人ルンバ」と言ってた人がいたな。腹抱えて笑ってしまった。

 

セシリー「機械が喋ることか!」

モニカ「機械なんて使う人次第なのよ」

 

 |・ω・`)  そしてラストのF91と鉄仮面のイメージ…