「機動武闘伝Gガンダム」はれっきとしたガンダムだと再認識する (2023年5月)

 現在、しばらく積みプラ状態でありましたRGゴッドガンダムを作製中なのですが、これを機に、古参ガンダムファンからは大いに叩かれ、「ガンダムではない」という烙印を押されている「機動武闘伝Gガンダム」をもう一度復習していましたところ、やはりGガンダムはやはりれっきとしたガンダムだと再確認いたしました。といいますのも、先月Vガンダムの意義について自分の考えを言語化したところ、GガンダムがVガンダムで富野監督が言いたかったことに対する、今川監督なりのアンサーであることを再確認したからです。

 

 まず前もって言いますと、私は前から「Gガンダムはガンダムである」と考えていました。といいますのも、ガンダムの主たる物語の軸は「人類はもう少しマシなものになれる」という考えの元、右往左往しながらMSに乗って戦う人たちの物語だと思っているからです。なので、私の中ではガンダムとは、SFとかそういうものではなく、大河ドラマとか、もしくは思想について物語を通して話そうとしているロボットアニメだと考えています。

 

 その文脈で考えると、Gガンダムは完全にガンダムです。というのも、Gガンダムでいわゆる敵側に属してしまう主人公ドモンの兄キョウジ、師匠の東方不敗ともに、地球を破壊し続ける人類をどうにかしなければ、という考えを基に行動しています。これ、完全にシャアやその他大勢の、富野ガンダムマナー敵勢力の行動原理です(ザンボット3のカイゾックですらそれです)。ただし、富野監督はあくまで作家志望の人ですので、勧善懲悪のような話はしないし、議論に対して完全な決着をつけるような話はしません。ところが、今川監督は違います。今川監督のアニメを知っている人ならどんな作風かわかると思いますが、すごくざっくり言ってしまうと直情的な作風の方ですので、このガンダムの文脈を今川監督なりに解釈した結果、Gガンダムのような作品が生まれたのだと思います。

 

 と、ここまでの「Gガンダムはガンダムの文脈にのっとった、れっきとしたガンダムである」ということはかなり前から認識していたのですが、先日、Vガンダムについてきちんと自分の考えを言語化したところ、Gガンダムはガンダムの文脈にのっとりつつ、特に「Vガンダム」へのアンサーになっている、ということに気づきました。すごく簡単に言ってしまうと、主人公の兄キョウジや師匠の東方不敗はVガンダムにおいて「人類の未来に絶望した老人たち」、つまるところフォンセ・カガチであったり、リガ・ミリティアの老人たちのメタファーだと思うんです(リガ・ミリティアの老人たちは人類の未来に絶望したからこそ行動を起こしたわけですよね?)。ただし、このキョウジや東方不敗は前者たちとは異なり、いくつかの場面で主人公を前に進ませようとします。つまるところ、Vガンダムでは簡単に言ってしまうと「ダメな老人たちを倒していくスペシャルな主人公の物語」であったのに対し、「老人は絶望したとしても、若者を導くべきだ」というアンサーをGガンダムでは行ったわけです。

 

 また富野監督がVガンダムで出した結論は「人は急に進化しないので、次世代へ、次世代へと希望をつないでいくしかない」というものであるのに対し、Gガンダムは若さですべてを突破していく主人公たちを描いて、それへのアンサーとしています。ただこれ、Vガンダムやガンダムの文脈をまったく考えないで見てしまうと、現在起こっている問題は放っておいて(Gガン、個人的な問題は解決してますが、社会的な大元の問題は全く解決していませんよね…)、幸せそうなシーンだが背後には絶望しかない、というラストシーンをよく描く宮崎ジブリアニメと同じような感じになってしまっており、それが原因で「Gガンダムはガンダムではない」とよく言われるのではないかと思います。

 

 もう一つ蛇足で追加すると、Vガンダムは初恋の人がラスボスになるのを止められなかった主人公が、それを撃破することで先に進む、という終わり方なのですが、Gガンダムではヒロインがラスボスになり、それを説得しなんとか元に戻す、という終わり方であり、これは富野監督への意趣返しのような形でのアンサーになっているのではないかと思います。

 

 さらに蛇足すると、Gガンダムのラストシーンで、Vガンダムを含む過去のガンダムや、ザンボット、ダンバインなど過去の富野作品のロボットが大集合しますが(漫画版クロスボーンガンダムに実際ある、クロスポーンガンダムがロケットにつかまって重力圏を脱出するシーンすらあるんですが、時系列的にみると、クロスボーンガンダムのほうがGガンダムをオマージュしたのかな?)、これは今川監督による「富野アニメの輪廻をこのGガンダムで止める!」という演出であったと思うのですが、世間的にはただのギャグシーンという認識止まりになってしまいました。しかしこのシーンは富野監督にはちゃんと伝わっていたようで、SF的な整合性を含めて∀ガンダムに取り込まれてしまい、意趣返しされてしまいました。

 

 というわけで、Gガンダムはきちんとしたガンダムである、ということを再確認したので、私個人的にはさっさとRGゴッドガンダムを完成させたいと思います。

 

 

 |・ω・`)  ・・・水星の魔女、17話見てツイキ

 

やはり水星の魔女は、大河内さんの「キングゲイナー・リベンジ」なのではないだろうか。

グエルは「自分は一人ではない」ことに気づいたので強くなれた。

ミオリネは「自分だけでなんとかしよう」としているので、変な方向へ。

さて、スレッタはどこへ向かうのか。

 

 |・ω・`)  ゲイナーのように黒化して敵になり、最後に目を覚ますパターンかもね

 

 

 |・ω・`)  ・・・19話見てツイキ

 

やはりテーマがキングゲイナーっぽくなってきた。

黒化するのはミオリネのほうか?

 

 

 |・ω・`)  ・・・ネットでもあまり言及されてない…指摘するならイマノウチ

 

第20話の、エラン5号がノレアを説得するシーン。あれZガンダム第20話 「灼熱の脱出」の、

カミーユがフォウを説得しようとしているシーンのオマージュですよね。

「名前を教えて欲しい」とか、いろいろ、ね。