「メイドインアビス」から「自分を掘り下げる行為」について考える (2022年8月)

 現在放送中の「メイドインアビス 烈日の黄金郷」ですが、私は漫画版も追いかけていますので、ストーリーの展開そのものには驚いたりしないのですが、あの原作をよくもここまできちんとアニメとして作りこんでくるなぁ、と感心しきりです。

 

 このメイドインアビスという作品は皆さんもご存知の通り、「アビスの大穴」という、どこまで下があるのかわからない穴を、主人公たちが下へ下へと降りていき、その道中でさまざまな体験をする、という物語です。ですがこの作品、章立てでテーマをはっきりと変えていまして、最初の章あたりは「親子のありかた(師匠のありかた?)」というものをテーマとしていて、一部、押見修造氏の「血の轍」へのアンサーになっているような章でした(ただし、押見氏の「血の轍」の地獄から抜け出しても別の地獄だよ、というのを見せつけているのですが…)。現在アニメで放送中の章のテーマは「価値」で、漫画版で新しく始まった章のテーマはどうやら「魂」のようですね。「攻殻機動隊」のアンサーになるような章なんでしょうか。

 

 で、メイドインアビスの主たる物語に話を戻しますが、この物語で最も面白い設定が、下から上へ帰ろうとすると「呪い」を受ける、という設定です。呪いにもレベルがあり、浅いところでは気分が悪くなる程度ですが、深いところまで行くと最悪、人間性を喪失するというとんでもない設定です。で、この設定を見ますと、なんだかこの「下へ降りたら(もう簡単には)戻れない」という設定は、もしかしたら「自分を掘り下げる」という行為のメタファーなのではないか、と考えました。「自分を掘り下げる」という行為は、非常に簡単なレベルの掘り下げであれば、例えば「自分は一体何がしたいのか」ということを自分自身で分析する行為なわけでして、非常に大事な行為です。ですので、必ず皆さん、レベルはどうあれ「自分を掘り下げる行為」はするわけです。ですが、「自分自身はなにものか」とかを考え出すと少しずつドツボにはまり、掘り下げすぎるとだんだん害悪になり、最悪、壊れます。

 

 自分を掘り下げすぎて壊れる人、というものを私が最初に見たのは、漫画家の桜玉吉さんでした。この方、デビュー当初はゲーム漫画を描いておられまして、その頃描いていた「しあわせのかたち」は私全巻持っています。ですがこの漫画、だんだんゲーム漫画から日記漫画に変貌していきまして、その後のこの方の作品はほぼ完全にエッセイ漫画となってしまいます。で、この方のきついところは、真面目すぎてあんまり漫画にウソを描けないところで、このエッセイ漫画の連載で自分を少しずつ少しずつ真面目に掘り下げて行ってしまった結果、壊れてしまいました。「御緩漫玉日記」あたりでは完全に壊れてしまっている気がしまして、面白いんですが、読んでいてきついです。自分自身を掘り下げすぎて壊れてしまうのは、哲学を目指した人にはとても多いようで、ニーチェなんかも、掘り下げるレベルが桁違いに深いですが、まさにこのパターンですよね。

 

 で、壊れないようにするにはどうしたらよいか、と考えてみましたところ、本物の自分ではない、自分の「アバター」のようなものを掘り下げたエッセイ漫画だったら壊れないのかな、と思いました。西原理恵子さんのエッセイ漫画がまさにそれだと思います。あの人はおそらく本当の自分自身ではない「漫画家・西原理恵子」というキャラを掘り下げているので、(もちろん、壊れにくい性格であるということもあるんだと思いますが)自分自身を掘り下げているわけではないので、壊れないのではないかなぁ、と思いました(ただ、それでもやっぱり家族には迷惑がかかってしまっていた模様ですが)。ラジオ番組とかだと、伊集院光さんも、西原理恵子さんに近いやりかたでずっと続けているような気がします。

 

 というわけで、「自分自身を掘り下げる」という行為は、皆さんある程度はする行為ではあるんですが、心がつらくなったらやめるべきだなぁ、と思いました。それ以上掘り下げると、アビスの呪いを受けてしまう気がします。

 

 それと、「演出した狂気を見せているアニメ」と「本物の狂気を見せつけるアニメ」は違います。このメイドインアビスは間違いなく後者のベクトルが強い作品ですので、見るのがつらいと思ったら見ない方がいいです。また最近、サンライズが公式YouTubeチャンネルで「伝説巨神イデオン」を配信し始めましたが、この作品も「本物の狂気を見せつけるアニメ」ですので、普通の人は見ない方がいいと思います。特に劇場版は覚悟しないと見れないです。